脱力亭日乗

意識が高いことは何もありません。

本年もどうぞよろしくお願いいたします


バタバタしているうちに年が暮れ、明けました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年明け早々から災害や大きな事故事件が多発しており、当事者ではなくとも心中穏やかではない日々を過ごされていることと存じます。御身大切に、ご安全にお過ごしください。

さて。
私は昨年末に仕事を納めまして実家に帰省中です。
まとまった時間があるから原稿できるぞ!と思ったものの、ほとんど手が付けられていません。
親のフォロー、甥の遊び相手、家事などで忙殺しており、そんな暇ないじゃん!!!となっています。こうなれば自棄です。休みまくってやります。
幸い、仕事始めは来週からなので、そこまでは休暇を楽しみたいと思います。

自室で原稿をやっていても煮詰まるのですが、久しぶりの実家で作業するといって落ち着かないのですよ。すぐ呼ばれるし。パソコン触っていたら、私のパソコンも見てほしい…と両親がそれぞれ自分のパソコンを持ってくる。たいして腹も空かないのに定時にご飯の時間がやってくる。親のテンポに付き合っていたら日が暮れる(ハッと気づくと数日経過)わけです。

家族と暮らしつつ、仕事もしつつ、原稿やって本書いて、SNSもやってネコチャンワンチャンと遊んで、という方は本当にすごい。どうやって時間を捻出しているんだ。本気で知りたい。
   
15年ほど前は年寄りの介護や看病をしつつ本出していたんだから、出来ないわけがないんだよなあ…とは思うのですが。あの頃はあの頃で大変だった記憶はあるのですが、どうやって過ごしていたのかほとんど記憶にありません…
(あの頃介護してるというと、体験者の方たちからたくさん慰労のお言葉を頂いて、あれは本当にありがたかったです)

閑話休題
5月のSCCの申し込みをいたしました。もう出すしかない。退路を断つところからが本番の気がします(笑)
頑張ります。

全然間に合ってない

原稿やってます。真面目にやってるって!(親に漫画読んでいるところを見つかった子どもの言い訳)

平日は仕事もあり、なかなか作業できず、メモ取ったり資料図書読んだりが中心ですが、土日にはなるべく進めるようにしています。


今回テーマに沿った短編集を、ということで、
プロットを書き出しながら、他の短編のネタをこねたり、
とかけもちをしながら進めています。

プロット会でネタだししたものよりも書きたいものが増えて、すべて詰め込んだら書く時間足りないな、と冷静に思ったりして…。我に返ると怖くなるからあまり考えないようにしています。
今は、少しでも時間を見つけて一行でも先に進めたい、と作業を進めているところです。

ただ例年だと、一月くらいからどうするかなあとぼんやり考え始めて、実際に動き出すのが二月三月、と考えると、スタートはかなり早いです。今から方向性がまとまっているので、私としては今までにない、奇跡のような真面目さ!ではあります。…自分で言いますが。

昔のように原稿中心で連日夜遅くまで原稿を、ということはできないし、仕事もあるし、体力も集中力もないし、という自覚があるので、前倒して進めるしかない…。

昨今話題の、大きなイベントの印刷所さんのひっ迫状況を見ていると、〆切早まりそうだな、と思ったり、
表紙どうしようとか(書く量がわからないので背幅決まらないし・・・)とか。
その前に原稿だろう、なんて考えるとあっという間に三月とかになっちゃいそうだな(震え…)とか。

あああああ
皮算用で不安になるタイプ)

原稿に戻ります。

第一回プロット会

先日、有志によるプロット会が開催されました。

来年五月のスーパーコミックシティに新刊をだそう、もしくは、創作しようぜ、という趣旨で募集をかけたところ、5人の方が手を挙げてくださいました。初めての試みということもあってどんな会になるかと思っておりましたが、大変有意義な時間となりました。

改めてご参加の皆様ありがとうございました。

 

当日は参加者が各々プロットを持ち寄り、参加者に見せながら説明して、その後意見交換、という流れで進行いたしました、

まだ半年以上も時間があるため、それぞれの進み具合の差はありましたが、皆趣向こらしたプロットを持参してくださいました。

作りたい本のイメージやコンセプトまで固めてきている人、ざっくりした案で展開を相談する人、意欲作をやってみたいけれど力量が…と悩む人など五者五様で、それに対して、活発な意見、感想が交わされました。

それぞれ気づきがあり、刺激になった、というお声もいただきました。

いいだしっぺとしては、プロットの進み具合如何より、やる気やモチベーション維持ということが最重要かと思っておりましたので、参加者が楽しかった、やる気出た、と言っていただくのはとてもありがたいことだと思っています。

そういう意味では大成功な会でした。

 

⚪︎よかった点

・自分以外の人たちの創作の種に触れることができ、刺激を得た。

・ほかの人に意見をもらうことで、新たな気づきを得た

・人に見せるための説明資料を作成しながら自分の思考を整理できた

・モチベーションがアップした(モチベの維持は課題)

 

⚪︎悪かった点

・会場は申し分なかった(広さ、価格、交通の便など)が、wi-fiが重く、クラウドサーバへのアクセスやファイルの開閉などに時間がかかった

 

⚪︎今後の課題

wi-fi環境のよい会場選定

・ネットワーク環境改善により、リアル参加できない方のオンライン参加

・モチベーション維持のための施策(進捗どうだい?というお茶会、オンライン会などなど)

・創作のためのコミュニティ的オンライン交流の場(bbs的な…)があるとよいかなあ

 

私自身、今までも、創作にまつわることは友人間で話したりノウハウの共有したりをしていたのですが、新たな目線で創作を確認できる良い機会となりました。

コロナ禍を挟み、サークル参加をためらったり、お尻が重くなったり、新刊を作る機会を失ったりしている方もいると思うので(私含め)、今後もぜひ続けて行けたら、と考えています。機会損失はジャンルの損失でもあると思うので…

 

本を作ることがすべてではない、とは思います。お金もかかることですし、時間も労力もかかる。自分のサイトや支部にアップしたほうが

圧倒的に見てもらえるじゃないかという意見もある。

ですが、本を作る楽しみというものは他には変え難い魅力があると思っています。

少しでもよきものにしようという努力や、達成感は、やはり作ってみて初めて味わえることなのではないかと。

それを自分の好きなジャンルでできるとしたら最高だなと。

 

また、個人的には、ミラージュ以外の他ジャンルの方に、どういう風に本を作っているのかはうかがってみたいところです。

ジャンルが違えば、風土や文化、暗黙ルールが違ったり、何をモチベにしたりどのように活動されているかは違うと思うので。

私がいうのもなんですが、同じジャンルに長くいるより、広く他のジャンルを見て視野を広げるというのも、創作においては刺激になるのかなあと思っています。他ジャンルでの活動を経て、より魅力的な本を作られるようになった方

もたくさんいらっしゃるので。

 

ということで、大いに刺激を受けまして、只今原稿を進めております。まだ全然一合目にも至らず準備体操段階ですが。経過は追々こちらでもご報告したく。

みなさまよき創作ライフを。

とりとめのない話をする

なんとなく気づいていたけど、最近会話の中で、暗喩隠喩が伝わらない、と思うことが何度か目にするようになった。

遜りや謙遜が通じない。自分を下にして相手を立てることが通じない。当然嫌味も慇懃無礼も通じない。
それまでも鈍いというか、皮肉な言葉も良く受け止めることができる人はいたし、それは幸せなことだと思ったものだが、そうではなくて、こんなにも強く、拒絶に近いような言葉で、はっきりとNOと言わないと伝わらないようになってしまったんだな、と悲しみにも似た気持ちを抱く。
誰に対してではなく、名も知らない、目に触れただけの、通りすがりの人たちの言葉だ。別に関係ない人の言葉だ、そういえばそれまでのことなのだが。

たとえば、相手がどんなに丁寧に言葉を尽くして書いたとしても、自分が思うような回答を得られなければ受け止めないのだろう。そういう方がいるのはわかっている。でもこんなにいるものなのだと。

 

人と空間をともにするときによく言われる、空気を読む、ということをこれだけ強いている世の中で、言葉の行間を読む、言外の言葉を察する、ということは強いられないのかなと、不思議に思ってしまう。

ただの通りすがりでちらりと見た、バックボーンも知りえない方が他人に向けられた言葉に衝撃を受けたりするほどセンシティブでもないのだが、通りすがりの私でさえ少し考えればわかりそうな言葉が相手に伝わらない、という事実が、指に刺さった小さな棘のように、ちくちく痛い。

言わなきゃわからない、確かにそうだ。私も、におわせるだけで行動しないのは嫌いなほうだ。やりたいならやればいい。人の様子を伺ってやりたいことを躊躇うようなことはしたくない。気持ち悪いことこの上ない。
でもこの悲しみを察して欲しい、この喜びを表す言葉がない、のような感情の度合いを相手にゆだねる言葉は、もう死語なのかもしれないな、と。

悲しみがあったときに悲しいでしょ、楽しいときに楽しいでしょ、って他人が強いるのってなんなんだろうなと。強い悲しみや喜びの感情の情報が流れてくるたびに思う。

金メダルを取ってうれしいでしょ、なんて、他人が思えばそうかもしれないけれど、授与者がそう思っていないかもしれない。
御身内を亡くされて悲しいでしょう、なんて、そうじゃない理由もあるかもしれないじゃないか。
そのどちらの理由も、他人が勝手に感情の種類を決めていいのか?踏み入っていいのか?その人の感情はその人のものなのではないのか?聞いて欲しいならともかく、こちらから聞くというのも無粋極まりないのではないか?

というようなことを延々と感じるここ数週間でした。

 

私は、悲しみを噛みしめるのがへたくそなんだと思う。いつまでたってもぐじぐじと考え続けてしまう。
去年今年と身内や親しい人が立て続けに亡くなった。心に留めていた画面の向こうの方が亡くなったと知った。
どうにか気持ちを立て直そうとして、へらへらしたりしてるけれど、突然何もかも嫌になって誰にも会いたくなくて引きこもってしまう。元気になってバカやって、そしてまた一人になって考える。
そうやって外と内を交互に行き来しながら、忘れる、という時間の経過を頼りに、生きていくしかないんですよね…。

続・私は霊感がない

以前、私は霊感がない、を書いてから色々考えてみた。
そういえば、ということがいくつかあった。

私の母校は、幕末の某戦争の現場である公園の傍にあるのだが、折にふれてその公園でお弁当食べたり昼寝したり友達とだらだら語り合ったりしていた。が、一度として怖い目にあったことも、幽霊の類を見たこともない。その公園の裏側はちょっと怖い場所がある、という知人もいたし、今の人ではない姿かたちの人がいたのを見たという方もいるのだが、私は全然。その程度だ。

 

ところで、今の季節になると思い出す出来事がある。数年前のことだ。
当時私は、何十年来敬愛している小説の舞台化に狂っていた。舞台化第二弾が半月ほど後に控えており、正直何も手につかない日々だった。

そんな折の明け方、夢を見た。
もう十五年以上前に亡くなった祖父がいた。

祖父は私のいとこたち(10人以上いる)に囲まれて、にこにこと話ている。私もすぐに話したいのだが、幼いいとこたちを押し退けて話すわけにもいかず、順番を待っていた。

私は初孫ということもあり、とても可愛がってもらった。それこそ文字通り、目に入れても痛くないというほど愛されたと思う。私も大好きだったし、夢の中とはいえ、会うことができてとてもうれしかった。で、話すのをワクワクしながら待った。
私の番(年長なので私が最後である)になって、祖父は私のほうに歩いてきた。私を見つめてにっこり笑った。
「太ったね」
え?
固まった。

 

そのあたりで目を覚ました。
確かに祖父が亡くなってから太ったよな…と思いつつ、目が覚めてぼーっとしていたのだが、あれ、そういえば今日何日?と思って、カレンダーを見た。

あっと思った。
祖父の命日だった。忘れてた。
後日、母や叔母に言ったら大爆笑されたのは言うまでもない。
これは霊感というよりは、忘れていた記憶を引き出された、ということなのかなという気持ちと、あんまり浮かれてんじゃないよ、という祖父の警告なのかな、と。
しかし未だに萌えまくっているのである…おじいちゃんごめんなさい。
そしてダイエットに励んだのは言うまでもない。(注 戻った)

この祖父の思い出は色々あるので、また改めて書くことにする。

原稿するために始めたんだった

そういえばこのブログ、原稿するために記録をつけようと始めたんだった。忘れてた。

 

昨日、オフ会があった。長年ファンの小説を語る会だ。原作の話はもちろん、二次創作の創作の源にかかわるような、かなり突っ込んだ話にもなった、とても熱いオフ会となった。たくさん語り合えた心地いい浮遊感で帰宅した。かなり力をもらった。


こういうオフ会に参加して、同志とたくさん語り合うことは、創作意欲にかなり影響する。同人誌即売会の後のお茶会(アフターと呼んでいる)で、新刊を出した互いを慰め合ったり、頑張りをたたえたり、書いている間の思いなどを語り合うことは、楽しみであり、慰労会であり、次回の創作へのスタートでもあるのだと思っている。

 

その会で、次回参加の来年5月のイベントに向けて、創作のためのプロット会をやろう、という話になった。プロット会というのは、要するに尻をたたき合う会だ。小説や漫画を描く前段階でプロットを作成する話は以前書いたが、プロット会は、その創作のベースを発表しあうという集まりだ。下書き段階を発表しあう必要など本来はないのだが、要は、ちゃんとやってるぞ、というのを見せ合うことで、自分も頑張るし参加者も頑張る、という段階的な監視会でもある。人に見せる、発表するとなると、案ベースやプロットベースでも、少しはまとまったものを見せたいわけで…。


それに、自分の頭の中の案を客観的な視点で見てもらうというのは、プロでもない限りはあまりないのではないかと思う。特に同人活動していると、大体が工程を一人で完結していると思う。なので、新鮮な目線や意見、一人で煮詰まった考えの打開、作業間の気分転換など、を期待したい。

 

なんとなくぼんやり書きたいものはあっても、いざ書き出すとなると、なかなか出てこない。思ったように物語が進まなかったり、思っていた感じではなかったり、自分の力量、持ち時間などを考えてしまったり…。
現段階(9月末)から躓いても、時間はあるのでリカバリはきく。時間的にギリギリであれば余裕がなくなり、力を発揮できなかったり、出来に満足できなかったり、体調や社会生活のアクシデントなどで振り回されたりもする。そうすれば、創作物も荒れるし、出来上がったものに納得できず、不甲斐ない作品に落ち込んだりもする…。なのでそういったリスクを時間的余裕で回避したい、という目論見だ。

 

えらそうなことを書いているが、これを満足に達成できたことなど、これまで書いてきてほとんどない。大体時間ぎりぎりだし、切羽詰まっているし、出来上がった本はこんなはずじゃなかった、も多々ある。そういったことを少しでも回避したい訳だ。


とりあえず、今日は、近所の図書館へ行き、一時間程度ノートに向かって冒頭部を考えている。大体の設定を書き出し、背景や状況などを書き出す…のだが、なんというか居心地がよくない。四人掛けのテーブルで、隣の女性はパソコンでEラーニング中、向かいのおじさんは資格取得かなにかの勉強…みたいな状況で、なんとなく落ち着かないし没頭できないのだ。今日はいきつけの喫茶店が休みのため仕方なく図書館に行ったが、あまり考えがまとまらないまま帰ってきてしまった。

 

ということで、今日はほぼできませんでした。

バケツコンポスト育成日記

ベランダでバケツコンポストをはじめて半年以上になる。

その名の通り、バケツの土にごみをいれてかき混ぜる、というシンプルなものである。土の中でごみを分解していくというものだが、こういう実験みたいなことがとても好きだ。
思いつきで気軽に始めたのだけど、やりだすとさらにおもしろいことがわかった。生き物を育てている感覚に似ている。微生物なので生物なのだが、日によって、入れる物によって土の様子が変わる。土の機嫌、健康状態がわかるし、ふかふかの土ができるとうれしい。

私の部屋は狭いながらもベランダがあるのだが、元々洗濯物を干す、くらいしか使っていなかった。元々ベランダに洗濯機スペースがあったのだが、大家さんが部屋の中に洗濯機スペースを作ってくれたため、ベランダにスペースができた。そこで、園芸でもやろうか、と思い立ったのはコロナ直前くらいの話だ。

 

用意したものは、

・8~10リットルのバケツ

・バケツの入る洗濯ネット

・スコップ

・土

 

やり方はyoutubeを参考にした。

①バケツごとネットに入れ、1/5程度に土を入れる
②ごみを入れてスコップで底からかき混ぜる
③ファスナーをしめる。これで虫は入らなくなる。

これを繰り返す。

できれば毎日かき混ぜる。しかし一日怠ったからといってどうとなることもない。
雨が当たらないような場所、庇の下などにバケツを置く。日当たり風遠しがよいところがよい。

一日に入れるごみの量は200ℊくらい。両手に乗るくらいの量。できれば細かく切ると分解が早い。
土は乾燥しすぎても多すぎてもよくない。土を握って固まる程度の水分量が最適。

 

〇入れるもの
野菜の皮。果物の皮。卵の殻(できれば細かくした方がよいが私は気にしない)
食べ残し

〇入れるときに注意するもの
生肉生魚などの動物系(虫が多くでる。私はあまり入れない)
玉ねぎの皮(分解が遅い)

〇ゴール
バケツがかき混ぜられなくなったら、そのまま2か月ほど何も入れず熟成させると、たい肥として使えるとのこと。

〇気づき
・ごみは細かく、さらに加熱したものの分解が早い。
・土の水分が多くなってしまったとき、土を多少足す、米ぬかを入れる(できれば生糠、なければ炒り糠)
・ヨーグルトや乳酸菌飲料、納豆やキムチなどの容器をすすいだ水を入れる。(土の状態を見ながら)
・廃油(肉や魚から出た油、料理をして出た油)も多少入れるとよい。
・煮物の汁、野菜を絞った汁などもよい。

・(当たり前だが)夏場は分解が早いが冬は分解が遅い。
夏はすいかの皮(2センチ角に切断)も一週間で消えるが、冬はキュウリの皮すらいつまでも残っている。

・土の状態、というのは、土の色(濃く黒々としているとより状態が良い気がする)、水分量、匂い、などなどを見ている。

・バケツコンポストは多少匂いが出るが、入れるものによって悪臭になる場合もある。腐敗したものを入れると腐敗臭が強くでる。強く匂いが出た場合はごみを入れず、かき混ぜるだけで一週間程度様子を見る。ある程度分解が落ち着くと匂いも落ち着くので、そこからは毎日ごみを入れる。

・何を入れたら分解が早いとか、何を入れたら大丈夫とか、そういうのを覚えておくと気づきがある。
・分解が早そうなものも量をいれると分解が遅くなる。適量を守ること。

生ごみを毎日入れることに固執しない。ごみの日の前の日や、生ごみが多いときは、素直にごみの日に出す。ごみに振り回されない。

 

現状はこんな感じです。

 

今年はもう遅いけど、夏休みの自由研究にもいいかもね。都会のベランダでもできるし。いきなりはじめても分解はしないので、夏前くらいから土づくりの助走は必要かなとは思うけれども。環境問題とかSDGsとか、意識高いじゃないですか(笑)

それと、行政(市町村や区)で助成があったり、講習会やっていたりすることもあるので調べてみるといいかも。

できたたい肥を行政で回収してくれたりするとなおいいのになあ、とは私の感想。昨今肥料価格がかなり上がっているとのこと、これだけごみ問題が騒がれているんだから、バケツコンポストで出たたい肥を回収して使用するとか、ごみを肥料化するとか、そういう取り組みがあってもいいのになあとは思う…

 

〇追記

一番最初の土づくりの際、近所の公園の落ち葉を拾ってきてごみとともに混ぜた。常在菌がいるとのことで。できれば地面に近い、朽ちかけたものがいいと思う。