私は霊感がない
かたい話が続いたので。それほど怖い話ではありません。
私は霊感がない。
少なくとも幽霊というものを見たことがない。
いままで可視したものが生きている人なのか、幽霊なのかの判別がつかない。なんとなくこの空間は気持ちよくないな、という感覚はあるものの、その理由は説明できないし、単なる感覚だけなのかもしれない。
あれって幽霊だったのかなあ?という体験をしたのは、友達の家で原稿合宿した2徹目の朝、おじいさんを見たことくらいだ。背中がやや曲がった、ウールニットのベスト、ズボンのおじいさんが、居間の中央でぼーっと立っていた。私のほうを見ていなかったので顔は覚えていない。えっ、と思った次の瞬間消えていた。見間違いかもしれないし確かめようもない。
(そこのお宅の方々は霊感があるという方々だったので、まじかwと笑われたくらいだったが)
帰省の折、家族に、うちに霊感ある人いる?と聞いてみたところ、
両親ともに「いない」とのことだった。父は見たことくらいはあるようだが…
(学生の頃百物語をやったことがあるというのだが、なぜかニヤッと笑っただけで結果を教えてくれない)
祖父母がまだ健在だったころの話。
祖父母は私の家族と同居する前、小さな、かなり古い平屋を借りて暮らしていた。そこに住んだのは今考えるとほんの数年のことなのだが、なぜか記憶が鮮明だ。
まだ小学校低学年だった私には、なんとなく気味の悪い家に感じていた。家全体の日当たりが悪く、昼でも電気をつけなければいけないような家で、しかも変わった間取りをしていた。台所と居間、祖父母の寝室にしていた和室が続いてあり、玄関脇に4.5畳ほどの部屋、そして、祖父母が寝室にしていた部屋の真裏に、隠し部屋のような板の間の部屋があった。そこは子供部屋だったのかも?という部屋で、祖母はその時自宅で教えていた手芸教室のために使っていた。
子供心に変な作りだな、とは思っていた。玄関は道に面しておらず、家の脇を通って裏側にまわりこまなければいけなかった。どの窓にもすこし洒落た緑青色の鉄柵がつけられていた。防犯のためなのかもしれないが、その理由が今もよくわからない。
そして、なぜか家中にお札が貼ってあったのだった。
祖父母は何も言わないし、私もなんとなく気持ち悪いかな、と思いながらも、祖父母の家に行くのは嫌ではなかった。
当時私は、何の娯楽もない小さな町に住んでいたので、夏冬の長期休みに祖父母の家の近くにある、大きな本屋やおもちゃ屋が入った大きいスーパーマーケットに行くことが本当に楽しみだったのだ。
数年後、祖父母と同居することになり、その貸家を退去したあとのことだ。
祖母に、あの家のことを覚えているか、と尋ねられた。中学生くらいになっていた私は、もちろん覚えているといった。かつての借家は近所だったし、よくその家のそばを通るからだ。祖父母が退去したあと、だれかが住んでいるようなことはなかったと記憶している。
「あの家で、なんかあった?」
と聞かれて、何を聞かれているのかわからなかった。
傍らの祖父は黙っている。
「あのね、私たちがあの借家を出たあと、某さんが借りたいと思って内見に行ったんだって」
某さんは祖父母の知人だ。会ったことはないが、名前くらいは聞いたことがある。
先述の通り借家の近くには大きなスーパーが近くにあり、交通の便がよく、立地としては申し分のない家だった。かなり古い家だったが、借り手がつくこともあるだろうな、という感じで聞いていた。
「そしたら、玄関に入った途端、入口の引き戸がバーンとすごい音を立てて閉まって、いくらやっても戸が開かなくて、閉じ込められてしまったんだって」
「ええ?」
「で、なんとか台所の窓から出て逃げ帰ったんだって。そんな目にあったことある?」
「いや、一度もないけど」
古い家だったが、建付けが悪かった記憶もないし、閉じ込められたこともない。
というと祖父母も、
「だよねえ。私たちも住んでたけど、ぜーんぜんそんな目にあったことないし」
困ったようなおかしいような顔だった。
年に数回泊っていた私の家族も、一度としてそんな体験はしたことがない、はずだ。
「あの家にたくさんお札が貼ってあったのを覚えている?」
と尋ねられた。もちろん覚えているというと、
「あれね。前に住んでいた家の子供が体が弱くて貼ったんだって。でもそれをはがさないで出て行ってしまったんだって」
そのせいではないか、と祖母。
なるほどなあと思った。
しかしうちの家族は何事もなくて、その何某さんが閉じ込められて這う這うの体で逃げ出した理由は不明だ。
その家はその後、誰にも借り手がないまま、周囲の家とともに取り壊されてパチンコ屋の駐車場になってしまった。
件の家ももうないし、祖父母にも確かめることはできないので、その後のことはわからない。
わかったのは、私の家族がとびきり鈍感なんだろうなあということぐらいだ。
今思うと、あの家で、いろいろ不運な出来事があったりしたような気もするけれど、それは因果関係があるのかないのか。
それから、なんとなく、お札が貼ってあるお宅が怖い。
今私が住んでいる部屋の隣に、佐野厄除大師のあの独特なお札(関東の方ならCM等でご存じかもしれない)が貼ってあり、転居当時ぎょっとした記憶がある。もちろんお札自体が悪いものでないことは理解している。
まもなくおそらく大家さんか住人の手によって剝がされたが。
…何かあったのかなあ、と思わずにはいられない。怖くて大島てるは見ていない。
繊細さとしたたかさ
素敵な俳優さんが廃業された。とても残念だ。ご自分が決めたこと、お体を大事に、というほかない。
クリエイターや表現者が繊細さを失ったらおしまいだ、と私は常々思っている。感性の強弱があるだろうが、機微を感じる感性を持ち合わせていなければ、人の興味を惹く作品など作れない。人の機微に鈍感な人が、己の作品に向き合えるわけがない、とも。
作品を作ることは、己と向き合うことだ。突き詰めて作品と向き合う時、己の弱い面とも延々向き合い続けなければならない。そういう時は大抵敏感になっているし、些細な感情の上下、外部刺激さえも大きな傷になる。普段なら笑って受け流せそうなことも上手く受け流せなかったり、まともに受け止めてしまって傷ついたりもする。
人一倍考えて突き詰めるからこそ、得られるものがあるのだと思う。その結果を求めて考え抜くからこそもがく。その繊細さは武器でもある
私の場合は何かを深く考え込むとき、深く思考にダイブできるような場所で、なるべく刺激を受けないように潜り込むような感覚になる。そういうときは些事さえも煩わしく、余計な事は考えたくなく、それが続とひどく厭世的というか、ひきこもりの極地のような気分になる。もっとも社会生活を送っていると、なかなかそこまで深くダイブはできないのだが…。
アマチュアである私でさえそうなのだから、その感性で生きているプロフェッショナルの方々はその心労はいかばかりかと思う。
しかし、その世界で生きるためには、したたかさも必要なんだと思う。自分の表現を貫くしたたかさ。繊細さを保持するためのしたたかさ。
だから諸刃の剣だし、繊細さとしたたかさがうまい具合にバランスが取れていないといけないのだと思う。でもそのバランスは簡単に崩れる。些細なきっかけで壊れる。
子どもの頃、著名な作家たちはなぜ自死を選んでしまうのだろうと不思議に思っていた。そのくらいの感性がないと小説など書けないのだ、と親が言っていたのを時折思い出す。己自身を賭けて作品を作り上げるということの壮絶さはその時は分からなかったが、うすら寒い思いをしたことだけは記憶している。
思いが変質するということ
※とりとめがありません。結論もありません。
ブログをやりはじめて、やる気をだしているような風を吹かせていて、その実何も進んでいない。
一応ノートは開くが、全然何も思いつかず、動画を見始めたり本読んだりしている。集中できていない。
これはまずい、ネタにも飽きているのかもしれない。非常にまずい。
私は基本飽きっぽい。やろうと思ったことを三日も続かない。集中できなくなるとすぐ興味を失ってしまう。逆に集中が続くとマイブームが続き、同じことを延々繰り返すことができるという性質。その中で二次創作をやるということは数少ない続いていること、ということになる。
何故続いているのかというと、一度だってうまく書けたと思った試しがないので、次回こそはと繰り返している。その繰り返しが今も続いている。
と建前では言っているが、その実は、ただ自ジャンルにしがみついているだけだ。
正直書くことは楽ではない。いつまでたっても上手く書けず、まとまらず、展開が思いつかない。前も同じようなことを書いたなと気づいて頭を抱える。いつまでたっても上達しないという事実が自分を打ちのめす。正直つらい。書いていて楽しい!という方は本当にうらやましいなと思う。
書いても書いても楽しい域に達することはない。ネタは少なくなるし、苦悩は深まるし、自分の下手さ加減にほとほといやになる。煮詰まって二年ほど書くことを休んでいた時期もある。その間、空いた時間でサブワークをしたり、職場の子たちと遊んだり飲んだり楽しくやっていた。けれど、ずっとやらなければならない宿題があるのにそれから目をそらしているような気持ちでいた。
その職場の同僚だった男子たちに、もったいない、また書けよと後押ししてもらったり、友達に原稿を依頼されたりして少しづつ元に戻って今に至っている。
原作が好きで仕方なくて、というのが第一義ではあるのだが、好きなだけでは続ける理由にはならないのはよくわかっている。好きという気持ちは時に変質する。
嫌いになるということはなくても、プライベートが忙しくなって向き合う時間が減ったり他に好きな存在ができたり大事なものができたり。自分の中の経験値が上がったり下がったりすると、自分の中の好きの基準が変質する。好きだという気持ちが己を枷にかけてしまう。
それまで好きだったものの思いが高温だったとして、徐々に温度が下がっていき、唐突に好きになったものの熱が上がれば、それまで好きだったものの温度を上回ることだってあると思う。それが嫌いになるということではない。かつての好きが現在の価値観と差異が出るのは当たり前だと思う。
いや別に嫌いになったっていいとは思うんだけどね。今の好きを優先すればいいと思うし。別に今やりたいことをやればいいと思う。
といいながら、プロットをやっているってことは、好きなのかなあ。好きなんだろうなあ。うーん。
先日NETFLIXでLIGHTHOUSEという対談を見た。星野源さんとオードリーの若林さんの対談。駆け出しの頃、認められなくて貧乏で、辛酸をなめつくしていつか表舞台にと願って、今は夢が叶い昔願った仕事をして充実していて生活も整っているのに、何か満たされない、という若林さんに、そこに一言、飽きているんですよ、と星野さん。
そうか、第一線で活躍している、勢いある芸人さんでもそう思っているのか、と思った。
好きなことをやっていても飽きるのか、と。
なんだかほっとしたし、突き刺さった。
プロットについて
みなさん、プロットってどうやって作ってるんですかね?
起承転結、序破急などで組み立てる人もいれば、付箋などに書いたものを壁に貼り、順番入れ替えたりする人もいる。細かく丁寧に、まさに下書きくらい書き込む人もいるし、荒くフォームだけ作って書きながら肉付けしていく人もいる。ガチガチにプロットを作って準備して書き出す人や、とりあえず浮かんだものを直接キーボードに打ち込む人もいる。
私はこれまで色々試してきた。うまくいったものも上手くいかないものもあった。しかし分かったことは、私は書きながらあれこれ考えるよりは、あらかじめ考えたものを書き出すほうが向いているようだ、ということだった。
初期段階では、ノートに手書きで書きだす、という一番泥臭くて面倒なやり方だ。これが性に合っている。設定、メモ、背景、小ネタなどをノートに書き出して、思いつくまま手書きでどんどん書き出していく。手を動かすと頭が動く。一人ブレインストーミング状態だ。
ブレインストーミングというのは、アイディアの初期段階で、思いつくままのネタをどんどん書き出していく方法で、そこでは採用の有無や実現の可能不可能は関係なく、とにかく思いついたものは出していこう、という手法なのだけど、そこでは、これはウケるかもとか私だけが楽しい話かも、ということは一切考えずやりたいように書く。気が楽だし楽しいと言えば楽しい。しかも実現するしないも関係ないから、適当なことをどんどん書いていける。そのうちに取捨選択をしていって、アイディアを固めていく、という感じ。
でもこれって、その時のマイブームや読書やアニメの記憶が色濃く出てくることも多くて、時をおいてネタのフレッシュさが失われると、私この時何がブームだったんだっけ?となったりもする。(なので、そうならない前に書き上げなければならない…)
アイディア出し以前に、これが書きたいなあというテーマが明確に決まっているときは、メモの段階からもうペンが走り出すという感じになる。どんどんストーリーが出てくるという時もごくまれにあって、調子がいいときはラストまでほぼノンストップで書きあげることもある。手書きでどんどん書き出していって、そのうちに興が乗ってきてストーリーが動き出す。そのときは素直に波に乗る。プロットというよりはほぼ下書き状態で、私史上最速だったときは下書きから一週間で本文が完成した。
しかしこういうことはほんとうに滅多にない。たまたま筆がのっただけだし、たまたま集中できる時間があったというだけ。その成功体験の味は覚えているけど、同じようなことをしても全くアイディアもでてこないし頭が働かないし、ノート開いてもネットサーフィンしてもスマホでゲームしても全然なにも浮かばない、ということがほとんどだ。
最近はエピソードを書き出していって、ストーリーを作っていくという、付箋紙方式に近いやり方をしている。起承転結とか序破急とか関係なく書き出していって、ふと息をついたところで見返してみて展開を考える。で、下書きのバージョンを重ねていって、最終下書きができると、パソコンに向かう、という感じ。
いきなりパソコンに向かって書くことができるならそれはそれでいいと思うのだけど、できない私はこんなめんどくさい方法で書いている。そもそも一発書きできるような文才も発想力もない。なので下準備だけはしておく。
私は小説だけど、あらゆる創作物にプロットに似たものってあると思うのだが(試作品、テスト、プロトタイプなど)、そういうもののインスピレーションや制作過程がどうなっているのか非常に気になる。完成物も、これっていったいどういう風に作ったんだ?というのをぜひ聞いてみたい。自分の知識を越えた情報をとても知りたいと思う。
原稿をやるにあたって
原稿をする前にやることとして、本屋や図書館に行く、というルーティンがある。何を買うでもなく、本棚を眺めたり気になった本を手にとってぱらぱらとするだけで、アイディアが降ってくることもある。
ということで、ここ最近は近所の図書館に通っている。正直、新しい本もそれほどたくさん入ってくるわけでもなく、話題の本は予約数が桁違い(都会の図書館すごい…)なので当分借りられないのだけれど、本棚を眺めて気になったものを借りてきたり、買うほどでもないな、と思っていた本を眺めたり、趣味の着物の本や手芸の本、料理やハウスキーピング系の本、ネタになりそうな資料を探したりもする。
そんな調子なので、原稿になかなか取り掛かれない。当たり前だ、興味があるものが多すぎる。
特に今日は日曜だった。人が多く、テーブル席に空きはなかった。子供はギャン泣きしているし、中高生が真面目に勉強している。老人たちが席を埋めている。
図書館で原稿することを諦めて、めぼしい本を借りて帰宅し、涼しい部屋で本を読んでいる、というわけだ。
ところで原稿というのは、同人誌の原稿のこと。
ここ10年ほどは年1~2冊を出していたのだが、コロナのおかげで大規模イベントという目標と意欲が失われてしまった。何も目標がないところに本を出したりできるほど頑張り屋でもないため、ひとまずは来年5月のスパコミに向けて本を作成しようかということになる。
例年であれば、大体年明けから動き出すのだが、年々尻が重く、動きが鈍くなってきている。考える時間が短くなると、原稿する時間も少なくなり、納得のいく本が出せなくなる。今、多少余裕があるうちに動き始めておこうかなーという心づもりなのだが。私は分かっている。
20年以上同人やっていると、自分の短所も分かっている。早めに原稿を始めて、最初は調子がいいが、段々飽きてきたり、時間があることに慢心したりする。分かっている、高取という奴はそういう奴だ。仕事が忙しいと疲れて、まだ時間があるし今日はいいか、などと言ってそれが一か月も続いたりして、結局時間が無くなる。目に見えている。
友人には、進捗管理表を作成し、一日何ページをノルマとしてこつこつと原稿をやっている殊勝な友人もいたりしたのだが(しかも当時かなり激務だった)、そのときはへーとしか思ってなかった。しかし私には、そこまでいかなくても、それくらいの管理は必要なのかもしれない、と今になって思う…。仕事並の管理表が必要なのは私なのだと。
いや、私の場合、仮に毎日ページ数を達成したとして、ちゃんと物語ができるのか?といえば、そこは自信が全くない。当初予定30ページくらいかなーといいながら、80ページになってしまったりする私には。
なのでプロットが大事なのだった。
プロットについてはまた次回。