脱力亭日乗

意識が高いことは何もありません。

繊細さとしたたかさ

素敵な俳優さんが廃業された。とても残念だ。ご自分が決めたこと、お体を大事に、というほかない。

 

クリエイターや表現者が繊細さを失ったらおしまいだ、と私は常々思っている。感性の強弱があるだろうが、機微を感じる感性を持ち合わせていなければ、人の興味を惹く作品など作れない。人の機微に鈍感な人が、己の作品に向き合えるわけがない、とも。

作品を作ることは、己と向き合うことだ。突き詰めて作品と向き合う時、己の弱い面とも延々向き合い続けなければならない。そういう時は大抵敏感になっているし、些細な感情の上下、外部刺激さえも大きな傷になる。普段なら笑って受け流せそうなことも上手く受け流せなかったり、まともに受け止めてしまって傷ついたりもする。

人一倍考えて突き詰めるからこそ、得られるものがあるのだと思う。その結果を求めて考え抜くからこそもがく。その繊細さは武器でもある

 

私の場合は何かを深く考え込むとき、深く思考にダイブできるような場所で、なるべく刺激を受けないように潜り込むような感覚になる。そういうときは些事さえも煩わしく、余計な事は考えたくなく、それが続とひどく厭世的というか、ひきこもりの極地のような気分になる。もっとも社会生活を送っていると、なかなかそこまで深くダイブはできないのだが…。

マチュアである私でさえそうなのだから、その感性で生きているプロフェッショナルの方々はその心労はいかばかりかと思う。

 

しかし、その世界で生きるためには、したたかさも必要なんだと思う。自分の表現を貫くしたたかさ。繊細さを保持するためのしたたかさ。

だから諸刃の剣だし、繊細さとしたたかさがうまい具合にバランスが取れていないといけないのだと思う。でもそのバランスは簡単に崩れる。些細なきっかけで壊れる。

 

子どもの頃、著名な作家たちはなぜ自死を選んでしまうのだろうと不思議に思っていた。そのくらいの感性がないと小説など書けないのだ、と親が言っていたのを時折思い出す。己自身を賭けて作品を作り上げるということの壮絶さはその時は分からなかったが、うすら寒い思いをしたことだけは記憶している。